『ウィトゲンシュタイン「秘密の日記」』を読んで

『ウィトゲンシュタイン「秘密の日記」』を読んで

偉大な哲学者の意外な一面

偉大な哲学者であるウィトゲンシュタインは、なんと志願兵として従軍していたことがあったのです。
しかも彼が参戦したのは第一次世界大戦であり、生還したことが奇跡としか言いようのない激戦でした。
敢えて第一次世界大戦という地獄に身を置き、そこで『論理哲学論考』という大作を生み出すに至った彼の生き様に大いに感銘を受け、以前に以下の記事を書きました。
その後に、彼が従軍中に書いていた日記が出版されていることを知り、「これは読まなければならない」と思い読んでみることにしました。

日記の概観

ウィトゲンシュタインの日記は、人に見せることが想定されていない純粋に私的なものでした。
そのような日記を出版することに対して紆余曲折あったらしいですが、彼を研究する上で重要な資料になるということもあり出版に至ったようです。
私的な日記というだけあって、断片的な文章が散らばっていて率直に言って読みにくかったです。
ただ、そんな日記だからこそ正直な心情が吐露されていて、そして彼の苦悩に満ちた様子が伺われました。

まず、そもそも体調が優れていないようでした。
ウィトゲンシュタインは医学的所見において兵役不適格になっていたのですが、これは持病を抱えていたためとのことでした。
それなのに、激しい銃撃や砲声の中でまともに眠れずに劣悪な環境で日々過ごしていたら、元々健康な人間でも辛いでしょうから如何に大変だったかは想像に難くありません。

次に、同僚との関係が良くなかったようでした。
内容の大半を占めるのは同僚に対する愚痴であり、痛烈な批判を向けていますが、同時に同僚に対して立腹してしまう自分自身に対する嫌悪感も綴られておりました。
急に卑近な話になってしまって恐縮ですが、現代日本でも職場での悩みの筆頭に挙げられるのは人間関係ではないでしょうか。
偉大な哲学者である彼もまた、そこは同じだったのかもしれません。

日記の内容は全般的に苦悩に満ちたものになっておりましたが、随所で「自分自身を決して失わないこと」と書き記して自分を鼓舞しているのが印象的でした。
この辺りはマルクス・アウレリウス・アントニヌスの『自省録』に非常に似ている印象を受けまして、他人に公開することを前提としていない純粋に私的な日記である点も含めてそうだなと思いました。

なぜ従軍したのか

一番知りたかった「なぜ、敢えて志願兵として従軍したのか」という点についてですが、日記に直接的には綴られていませんでした。
解説を読んでも明確な理由は不明だったのですが、日記には以下の一説がありました:

神は僕とともに!今、僕に、まともな人間になるための機会が与えられているのかもしれない。というのも、僕は、死と目と目を合わせて対峙するのだから。どうか、霊が僕を照らしてくれますように!
(『日記』1914年9月15日)

第一次世界大戦という地獄の地は、死に最も近い場所と言っても過言ではないでしょう。
そのような環境に身を置くことで、彼はまともな人間になろうとしていたのかもしれません。
「まとも」とは彼にとってどういう意味だったのかはよく分かりませんでしたが、今の自分が嫌いでそこから脱したいという気持ちはなんとなく感じられました。

苦悩に満ちた人生

塹壕の中で20世紀の哲学における大作である『論理哲学論考』のアイデアを纏めた彼の生き様から、私が会社という塹壕に身を置きながら創作活動を続けるためのヒントを貰おうとしたのですが、彼は確かに素晴らしい人間ではあるものの苦悩に満ちた人生を送っていたようで、彼のようになりたいとは正直なところ言えませんでした。
今の自分が嫌いで、もっと善い人間になりたくて、神経質に自分を追い込みながら毎日を生きている――彼は非常に高潔な人間なんだなと思った一方で、その人生は苦悩に満ちていたのだなという印象を受けました。
個人的には、自己肯定感が高く、純粋で、人生をその味わいにおいて語ってくれるような人に惹かれることが多く、そして自分自身もそうなりたいと思っているので、彼には最大限の尊敬を払いつつも、人生の師は別に見つけようと思ったのでした。

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