ブルシットジョブを楽しむ ~ 管理社会を生き抜くための発想の転換
はじめに
「ブルシットジョブ」とは、アメリカの人類学者デヴィッド・グレーバーによって提唱された概念です。
「ブルシット」は牛(ブル)と糞(シット)を組み合わせた言葉ですが、「馬鹿馬鹿しい」や「無意味な」といった意味で使われる英単語です。
ブルシットジョブとは、グレーバーの著書の副題を借りて一言で言うならば、「クソどうでもいい仕事」と言えるでしょう。
(お下品な話が続いてすみません…)
さて、なぜこの記事を書いたのかについてですが、そもそも私自身が大企業の管理部門で働くブルシットワーカーなのです。
私は過去には官僚制に関する考察記事も書いており、官僚制とは何かや管理部門とは何かについて並々ならぬ興味を持っております。
ところで、グレーバーは介護士などのケア職に代表されるような「リアルワーク」に比べて、ブルシットジョブの給料は不当に高いと言及しています。
しかし私は、ブルシットジョブの給料が高いのは、まさにクソどうでもいい仕事だからなのだと考えます。
ブルシットジョブを楽しむことのできる奇特な心の持ち主は、現代社会をハッピーに過ごせるのではないでしょうか?
クソまみれの管理社会を明るく楽しく生き抜くための奇抜な妄想に、少しだけお付き合いいただきたいです。
なぜ高給取りなのか
私は以前にこの記事で労働のトリレンマという理論を提唱しました。
労働のトリレンマとは、「労働者は、やりがい・給料・労働環境を同時に2つまでしか実現できない」という理論です。
【図解】労働のトリレンマ
中央部分が空洞になっており、3つ同時に成立させることが不可能であることを表現している。
さて、ブルシットジョブとは「クソどうでもいい仕事」であり、普通の人はこれにやりがいを感じません。
例えば子どもに将来の夢を聞いて、「将来は会社で書類仕事をしたい!」などという回答が返ってくることはまずないでしょう。大人になっても進んで書類仕事をしたがる人は稀です。
やりがいが無い仕事にわざわざ就こうとする人はいない上に、しかも書類仕事には一定以上のスキルが必要なので、労働者の供給が足りません。
一方で、特に大企業はコンプラが厳しいためブルシットジョブにも人員を貼り付けざるを得ず、企業側の需要はそれなりにあります。
以上から、ブルシットジョブは労働者の供給が少ない一方で需要がそれなりにあるため、労働市場の需給調整メカニズムにより給料が高くなると考えます。
ブルシットジョブは、上記の労働のトリレンマの図だと、給料のみの領域(金融・保険・不動産など)、労働環境のみの領域(事務職、地方公務員など)、そして給料・労働環境の交差領域(バイト医・私大職員・独占企業など)に属することが多いです。
総じて、子どもの夢として挙げられる仕事ではないけれど、堅実で給料の高い仕事というイメージを持たれているものと思われます。
考察対象
グレーバーは、ブルシットジョブを以下の5つの類型に分類しています。
(出典:デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』)
-
取り巻き
誰かを偉そうにみせたり、偉そうな気分を味わわせたりするためだけに存在している仕事
例:受付係、管理アシスタント、ドアアテンダント -
脅し屋
雇用主のために他人を脅したり欺いたりする要素を持ち、そのことに意味が感じられない仕事
例:ロビイスト、顧問弁護士、テレマーケティング業者、広報スペシャリスト -
尻ぬぐい
組織のなかの存在してはならない欠陥を取り繕うためだけに存在している仕事
例:粗雑なコードを修復するプログラマー、バッグが到着しない乗客を落ち着かせる航空会社のデスクスタッフ -
書類穴埋め人
組織が実際にはやっていないことを、やっていると主張するために存在している仕事
例:調査管理者、社内の雑誌ジャーナリスト、企業コンプライアンス担当者 -
タスクマスター
他人に仕事を割り当てるためだけに存在し、ブルシット・ジョブを作り出す仕事
例:中間管理職や号令係、取り次ぎや仲介
今回の考察対象は、一言でいえば書類仕事であり、大企業の管理部門、役所、監査法人などで日々「手続き」に追われている人々とします。
グレーバーの5つの類型だと「書類穴埋め人」が最も近しいかと思います。
成長産業としてのブルシット
規制の増加
激増する法律、複雑化する内部統制
国が成熟するにつれ、規制の数は増加します。
この記事によると、日本では法律の数はこの30~40年で倍増しており、規制が飛躍的に複雑化していることに関しては議論の余地がないでしょう。
企業に関しても同様で、黎明期は自由でも、組織が大きくなるにつれ管理が強化されていきます。
特に上場する場合は非常に高い水準の内部統制が求められ、黎明期とは別の雰囲気の組織になっているであろうことが想像されます。
また、この点については次で詳しく述べますが、規制は増えることはあっても減ることはないという不可逆的な傾向があります。
老化が不可逆であるように、企業が年を重ねて老いていく中で、規制も不可逆的に増加していく傾向にあります。
規制緩和の虚実
さて、昨今では「規制緩和」や「構造改革」といった言葉をニュースで耳にすることが多いかと思います。
規制の多さについて国や企業も問題視しており、それに対する対策に乗り出しているようですが、どういうわけかより多くの規制が生まれるという逆説的な状況に陥っています。
グレーバーは『官僚制のユートピア』でこれを「政府による経済介入の縮小政策は、より多くの規制、官僚、警察官を生みだすという逆説。」として言及していました。
この点については抽象的で分かりにくいかと思いますので、私の体験談を基に具体的に説明します。
私の業界では、規制緩和の一環としてあるルールが撤廃されました。
しかし、「一度あった規制を撤廃しても大丈夫なのか?」という懸念の声があったのか、法令や通達をそのまま削除するのではなく、既にある規制に対して「一定の条件を満たした場合は『○○適格』であるとして規制の対象外とする」という例外規定を付けるという形で実務に落とし込まれました。
そのため、「○○適格」に該当するかどうかの規制が増えただけではなく、「○○適格」であることの証跡となる書類を行政に提出する必要があったり、一度「○○適格」になったものについて継続的に適格であるかどうかのモニタリングが必要になるなど、むしろ規制に関する仕事が増加してしまった経験があります。
書類穴埋め人が足りない!
規制が増加すると、書類穴埋め人の仕事も増えることになります。
一方で、新たな規制は過去の規制と複雑に絡み合っていることが多く、独立して理解できるものではありません。
先ほどの「○○適格」の例も、元となる規制を理解できていないとまるで理解できないでしょう。
となると、かなりスキルの高い書類穴埋め人でないとこれに対応できなくなります。
「仕事が増加する一方で求められるスキルが高いため労働者の供給が少ない」というのは、給料の増加に繋がりますし労働者目線では非常に魅力的な要素でもあります。
AIはブルシットを代替するか?
Chat GPTなどの生成AIの登場により、書類仕事が消滅するかのように思われています。
しかし、私は書類仕事が完全に消滅するのはかなり先の未来だと考えています。
現在の生成AIでも、架空の法律や社内規程を作ることは可能でしょう。
しかし、先ほども説明したように、新しい規制は既存の規制と複雑に絡み合っており、生成AIが作成した条文はそうした過去の経緯と全く整合しないことが珍しくありません。
一方で、画像生成AIや動画生成AIなどの登場により、自由でクリエイティブな分野の方が逆に生成AIによる侵略の危機に晒されているように見えます。
遠い未来で完全な汎用AIが実現したとき、ブルシットジョブは消滅しているでしょう。
確かに単純なデータ入力のような書類仕事はAIにすぐに代替されてしまうでしょうが、書類穴埋め人は他の職業に比べて相対的に長く生き残ってもおかしくないと考えています。
AIは当面の間は法令や社内規程の条ズレチェックや構文の整形などの補助的な役割に留まると考えています。
以上より、ブルシットは規制の増加により成長が見込まれる産業であり、かつ、AIによる代替の危険性も実はそこまで高くないという案外魅力的な仕事と言えます。
ただ、最大の問題はそれが意味のないクソ仕事であることです。
要するに、やりがいが無くて心が死んでしまうのです。
そこで、次はブルシットジョブを楽しむための発想の転換を図ります。
ブルシットジョブを楽しむ
戦略の射程
以下の戦略の対象は、一言で言うとオタク気質の人です。
オタク気質の人とは、より詳しくは「内向的で、社会不適合寄りで、知的好奇心は高い人」です。
社会適合的な人であれば会社に難なく適合してブルシットジョブも「そういうものか」と受け入れるでしょうから、以下の戦略はそもそも不要でしょう。
また、外向的な人や知的好奇心よりも大事なものがある人にとっては、ブルシットジョブは相変わらず退屈なものであるかと思います。
ブルシットジョブとは、孤独な探求の道なのです。
知見を発信する
仕事を楽しむうえで重要なのは興味を持つということです。
そして興味を持つうえで重要なのは知見を発信するということです。
例えば、新たにできた規制について社内で勉強会を主催してみるのはどうでしょうか。
それが「行政に提出する書類のレイアウトの変更」のようなくだらない規制だったとしても、どうしてレイアウトが変更されたのかの背景について考察したり、もうちょっとレベルを上げてさらに合理的なレイアウトを提案したりするなど、意外と話を膨らませることは容易です。
面白いことに、最初はくだらないと思っていた内容でも、知見を発信して反応を得られると「面白い」と感じられることがあります。
「興味があるから勉強会を開く」のは当たり前だとしても、「勉強会を開くから興味が出る」というのは少し意外ではないでしょうか?
また、勉強会の副産物として、あなたの職場での地位が高まるかもしれません。
そうすれば、やはりブルシットですからどうしても気分が乗らないときはあるでしょうが、そのようなときに多少サボっても文句を言われにくくなります。
職場で知見を発信しにくい場合、ネットで発信するのはどうでしょうか。
勘のいい読者の方はお気づきかもしれませんが、私がこの記事を書いているのはまさにこのためです。
仕事に対して批判的な内容の記事は職場で言及しにくいでしょうから、ネットで発信することは有効です。
ただし、あくまでも批判的であるべきであって、それが単なる愚痴になるべきではないことは、自戒を込めて言及します。
特に、ネットで仕事の愚痴を発信すると負の感情が発散されるどころか逆に増幅されてしまうように見えます。
自分の感情は一旦置いておいて、背後にある構造を客観的に考察し、そして発信するのです。
また、本記事のような抽象的なブルシット論考であれば、機密情報の漏洩には全くあたりませんので安心です。
抽象化がこのような形に役立つというのは、少し面白いですね。
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歴史を辿る
規制というのは歴史の積み重ねであります。
例えば、異常に複雑な給与規程。
本則よりも附則の方が圧倒的に長い場合、会社の合併などの際に既得権者の利益に配慮して例外規定が設けられた可能性があります。
給与規程とは、合併前各社の攻防の爪痕が刻銘に刻まれている、クソまみれの歴史の生き証人なのです。(死んでいるとも言えますが…)
最初から複雑な規制もありますが、多くの場合は規制が追加されていった結果複雑になったというものであり、歴史を理解することはブルシットジョブを究める上で重要です。
そして、過去の経緯も含めて規制を理解している人というのは社内で大変重宝されます。
また、法令対応はどの会社でも共通で行っておりますし、本社管理部門の仕事はどの企業も似たり寄ったりですので、スキルのポータビリティも意外と高かったりします。
歴史を辿ることであなたの知的好奇心を満たせるだけではなく、ジョブセキュリティまで万全なものになるでしょう。
無味乾燥な規制も、背景にあった歴史や人間ドラマに思いを馳せれば急に味わい深いジューシーなものになり得ます。
ただし、この感性はオタク特有のものと思われます。
そのため、「戦略の射程」ではオタク気質の人を対象にすると言及しました。
社会を考察する
ブルシット化というのは普遍的な現象です。
一定以上の規模の企業であれば、どの会社も次のような構造を採用しているはずです。
まず、部長・次長・課長というような垂直的な権限の関係と、営業部、企画部、広報部などといったような縦割りの水平的な権限の関係があります。
業務は明示的なルールによって執り行われ、そのルールは規程やマニュアルなどの明確な文書に落とし込まれることが要求され、そして担当者がルールに則って作業を行ったことも文書によって証跡とされ監視の対象となります。
こういった垂直的・水平的な権限の関係やルールによる統制、そして書類主義などの特質を備えた組織形態を官僚制と呼びます。
法令対応のようなブルシットジョブは国全体の官僚制化によって生まれたと考えられる一方で、社内規程やマニュアルの整備などといったブルシットジョブは企業の官僚制化によって生まれたと考えられ、特に書類穴埋め人的なブルシットジョブは官僚制と不可分の関係にあります。
働きながらブルシットジョブについて考察することは、ひいては官僚制を考察することに繋がり、そのときあなたは社会学を探求するフィールドワーカーとなるのです。
技術を究める
Excel、Word、PowerPointなど、ブルシットワーカーにとってのMicrosoft Officeの各ソフトウェアは大工にとってのノコギリやノミやカンナに相当するものです。
実は、私がゲーム製作者になったきっかけは、VBAを究める過程でプログラミングが楽しくて仕方がなかったという経験なのです。
「Excelなんてつまんないよ」という方。Excel VBAでは以下のことができるのを知っていますか?
- ブラウザを自動操作してスクレイピングを行う
- 正規表現を利用して特定のパターンにあてはまる文字列を抽出する
- Outlookと連携してメールの自動送信をする
- Sendkeysを駆使してRPAを作成する
社内のIT規程が厳しくてPythonなどが使えない場合でも、Excel VBAは使えることが大半かと思います。
VBAでできることは本当に多く、需要も大きいため数多くの情報が出回っており、初学者の方はネットで独学するのに困らないでしょう。
ただ、初学者向けの情報は多いものの中級者以上向けの情報は少ないため、継続的な学習が難しく飽きてしまいがちというのがあります。
そこで、VBAに飽きてきた方にはぜひ『パーフェクト Excel VBA』をお勧めします。
VBAをマクロの記録の延長としてではなくプログラミング言語として再解釈することで、一気に味わい深いものとなると思います。
IT技術の他に、条文の作成などの法制執務はそれ自体がかなり高度な作業であり、その方法論に関する書籍が出版されています。
例えば、『法制執務の基礎知識』などが挙げられます。
方法論を勉強するだけではなく、方法論についての意見を発信できる領域にまで達すると、もはや会社員の枠を出て高度専門職として活躍できるでしょう。
数値の集計作業や規程の改定などの無味乾燥な書類仕事には、実は上記のようなやり込み要素が多分に含まれていて味わい深いものなのです。
道を究めた者
ブルシットの道を究めた者には、いくつかの類型があります。
あなたの職場にも当てはまる人がいるかもしれません。
ブルシットの道は孤独な探求の道だと言いましたが、ロールモデルとなる人がいる場合は、その人の一挙手一投足を注意深く観察することで得られるものは多いのではないでしょうか。
ブルシット・ウラマー
ウラマーとは、アラビア語で「学識ある者」を指します。
広くはイスラムの学者や宗教指導者層を指し、狭義にはイスラム法を学んだ神学・法学者を指します。
イスラムでは信者を同列に置くためウラマーの特権は認められないのですが、この点は本社管理部門の専門職に特権がないことに少し似ています。
ウラマーは社会生活面ではイスラム法の代弁者としてイスラム社会で重要な役割を果たしていますが、これと同様に会社生活でコンプラや内部統制の代弁者として重要な役割を果たしている「ブルシット・ウラマー」がいます。
なお、企業に勤務する弁護士は雇用契約ではなく業務委託契約であり、通常の社員と比べると外部の存在としての特徴が強いため、通常の社員として会社の内部の存在でありながらコンプラや内部統制を語れる「ブルシット・ウラマー」とは別の存在だと考えます。
そのため、決して弁護士の下位の存在というわけではなく、会社からしても弁護士のように外部から調達できる人材ではないので、コスト部門でありながら一定程度尊敬される存在です。
ブルシット・ジョブズ
スティーブ・ジョブズの名を知らない人はいません。
実は企業にも、IT分野で活躍する「ブルシット・ジョブズ」がいます。
大企業や役所の場合、巨大な組織を管理するための情報システムが必須です。
業種によっては、金融業のようにシステムが内部管理のみに留まらず事業の中核として重要な立ち位置になっていることもあります。
大企業の場合は情報システム分野を外部委託している場合も多いかとは思いますが、かといって丸投げすることはできず、要件定義やテストなどは最低限自社でやらなければいけません。
また、情報システム関連部署でなくとも、各々の部署で使用しているツールが高度に複雑な場合も多いです。
そういった環境でITのスペシャリストとして究めている人がいて、ブルシット・ウラマーと共に尊敬を集めています。
ブルシット柔術師範
大企業の管理部門では「根回し」を多用します。
経営会議などの会議は重要そうに見えますが実態は形式的な承認の場に過ぎす、実際の意思決定は現場の担当者が担当役員に対して事前にご説明差し上げるといった形の根回しによって行われています。
通そうとしている案件の理論武装も重要ですが、電話にするか対面にするかの微妙なコミュニケーション手段の違いやキーマンを見極める戦略眼なども重要であり、こういった論理以外の事前工作はしばしば寝技と呼ばれます。
巨大組織で案件を通すためにはスタンプラリーとも呼ばれるような長大な稟議申請の過程を経る必要がありますが、寝技で事前に「握る」ことで稟議申請を高速化することもでき、内部統制上はグレーですが意思決定に時間がかかりすぎるという管理主義の弊害を一定程度減じています。
ところで、寝技はいわゆる「コミュ力」とは違います。
例えば学校で一軍にいるような「陽キャ」は確かに「コミュ力」が高いですが、それは同質的で平等な集団の中でコミュニケーションをするのがうまいという話であって、大企業のピラミッド社会で上層部や異質な他部署とコミュニケーションをすることがうまいとは限りません。
前述の通り寝技は内部統制上はグレーな行為であり、そしてグレーな行為をするからには何がセーフで何がアウトかを見極めるために内部統制を深く理解する必要があります。
また、前二者は本を読んで学ぶことで究めるという経路をたどることが多いですが、寝技について体系的に解説した本や論文は私の知る限りは無く、学ぶというよりは体得するものだと考えます。
寝技に長けたブルシット柔術師範の下で働き、その一挙手一投足を見取り稽古してこれを鍛錬とするのです。
寝技とはまさしく管理社会におけるマーシャル・アート(武芸)なのです。
さいごに
ブルシットジョブをしたくて会社に入る人はいません。私もそうでした。
クリエイティブな仕事や人に感謝される仕事などに転職するのも手ですが、一方でそういった仕事は誰もがやりたがる仕事であり、給与や待遇が低くても人が集まってしまうという現実があります。
そこで発想を転換して、ブルシットジョブにやり込み要素を見出して、人生を味わい深いものにしてみませんか。
組織の論理に染まった会社人間になることでブルシットジョブに適応するのではなく、ブルシットジョブを「クソどうでもいい仕事」と認識しながらも、そこに面白さや味わい深さを見出して探求するのです。
そういった倒錯した行為を可能にするのは、まさに人間の発想力なのだと思います。
この記事を最後まで読んでくださったあなたも、ブルシットジョブに苦しんでいるかもしれませんが、この記事が少しでもあなたを救うことができたならば幸甚です。