労働のトリレンマ ~ 最高の職場は存在しない

労働のトリレンマ ~ 最高の職場は存在しない

労働のトリレンマ

私たちの多くは、誰かに雇われて働いている労働者です。
私は様々な職業を観察した結果として以下の構造を見出し、これを労働のトリレンマと呼ぶことにしました。

【労働のトリレンマ】
労働者は、やりがい・給料・労働環境を同時に2つまでしか実現できない

トリレンマとは、ジレンマの3つバージョンで、「3つのうち同時に2つまでしか実現することができない状態」を意味します。
要するに、「あちらを立てればこちらが立たず」といったところです。
例えば、給料とやりがいをの2つを実現できたとしても労働環境は悪くなってしまう、といった場合が考えられます。
3つのうち少なくともどれか1つは捨てなければならないので、「最高の職場は存在しない」というサブタイトルを付けました。
まず、やりがい・給料・労働環境という3つの観点で様々な職業を分類してみた結果を紹介します。

イメージがつかめたでしょうか?
真ん中の領域が「3つを同時に実現した状態」に対応しているのですが空白になってしまっており、これこそがまさに労働のトリレンマです。
この段階では突っ込みたくなる部分があるかもしれませんが、一度最後まで読んでいただけますと幸いです。
以下では、労働のトリレンマが発生する構造と、図の各エリアの特徴を述べていきます。

背景にある構造

鍵となるのは労働市場の需給調整メカニズムです。

例えば、みんながやりたがっていて、かつ、給料がいいような仕事は、供給(=やりたがる人)が多くなります。
そうすると、需要側(=雇う側)の買い手市場になるので、もうちょっと労働環境を悪くしたり給料を下げたりしても十分に人が集まってしまいます。
その結果、「やりがいがあって給料がいいけど、労働環境が悪い」といった状態や、更に悪いと「やりがい搾取」のような状態になってしまいます。

逆に、みんながやりたがるわけではなく、かつ、給料が悪いような仕事は、供給が少なくなります。
そうすると、需要側(=雇う側)は待遇を引上げざるを得ません
その結果、「やりがいは少なく、労働環境も悪いけど、給料がいい」といった状態や、良ければ「やりがいは少ないが、労働環境も給料もいい」といった状態になります。

このような需要と供給のバランス関係により、「あちらを立てればこちらが立たず」といったようなトリレンマが生まれます

各エリアの特徴

1つのみ実現

やりがい・給料・労働環境のうち1つだけ実現した領域です。
この領域の職業は非常に数が多く、列挙するのが困難なので、代表的なものに絞って紹介します。

やりがい型

代表例:クリエイター、教師、ケア職、国家公務員、その他多数

  • クリエイター
    例としてアニメーターは激務薄給の職業として有名で、そのあまりにも過酷な労働環境はセンセーショナルに報道されがちです。
  • 教師
    放課後も保護者対応や部活動などで非常に激務であり、また、残業時間に比例した十分な手当が受けられておらず、社会問題化しています。
  • ケア職
    医師以外の医療職、介護職、保育士などで、こちらも教師と同様に激務薄給が社会問題化しています。保育士に関しては、資格を持っているのに保育士として働いていない「潜在保育士」の存在がその問題を裏付けています。
  • 国家公務員
    何かと批判されがちな国家公務員(いわゆる「官僚」)も、最近は天下りができなくなってきたこともあり、激務に見合った待遇が得られないことから志望者の減少が問題になっております。

上記のような問題は、俗に「やりがい搾取」と呼ばれて社会問題化していますが、問題がなかなか解決しない背景には、それでもやりたがる人が一定数いるため労働市場の調整メカニズムが働きにくいということが一因としてあると考えられます。

給料型

代表例:金融・保険・不動産

コンプライアンスが厳しいため残業時間はやりがい型よりやや少ない傾向にありますが、それでも過酷なノルマ、全国転勤、激しい出世競争などがあるため労働環境は非常に厳しいです。
しかし、その代償として給料は非常に良いことで有名で、高給取りの代表例として認識している読者の方も多いのではないでしょうか。
やりがいについてはややこしく、イキイキしているように見える人もいますが、どちらかというと競争や売上自体にやりがいを感じているようで、事業の内容自体にやりがいを感じている人は一部の専門職を除いて少ない印象です。
不正募集に代表されるように押し売りが問題になっている業界でもあり、そういったところからも事業の内容自体にやりがいを感じている人は少なさそうです。
一言で言うと、徹底して実利を追求するハードワーカーという印象を受けます。
(なお、私もここに属していますが、正直やりがいを感じたことはありません。)

労働環境型

代表例:事務職、地方公務員

大企業の一般職のような事務職は、定時に帰れる仕事というイメージが定着しています。
また、地方公務員には様々ありますが、国家公務員ほど激務ではなく、職種によっては定時に帰れるようです。
定時に帰れることの裏返しとして、業務内容がルーチン化されている傾向にあり、また、希望者も多いため給料も控えめになります。

2つ実現

このパターンは稀です。
というのも、2つ実現している場合は労働市場の需給調整メカニズムによってどちらかが削られてしまいがちだからです。
純粋な民間企業ではなく公務員としての性質があったり、参入障壁が高かったりなどで労働市場の需給調整メカニズムが働きにくい場合に実現する傾向にあります。

やりがい&労働環境型

代表例:図書館司書、学芸員

非常に稀なパターンです。
というのも、やりがいがあって労働環境が良い職場というのは、やがてクリエイターのように激務の環境になりやすいからです。
図書館司書や学芸員の労働環境が良い状況に保たれているのは、資格が必要で参入障壁が高かったり、公営の博物館などに勤める場合は公務員としての性質もあり競争がなかったりするためです。
ただ、それでもやりたがる人が多いため給料が控えめになってしまいがちです。

労働環境&給料型

代表例:バイト医、私大職員、独占企業

いわゆるホワイト高給であり、羨望の的になりがちなパターンです。
通常の民間企業であれば給料か労働環境のどちらかを悪化させた方が経営上の効率がいいので、これらはいずれも特殊な要因があります。

参入障壁パターン

バイト医が該当します。
バイト医というのは、常勤として特定の病院に勤務するのではなく、健康診断など単発のバイトを中心に生計を立てる医師のことです。
医師免許という非常に高い参入障壁があるため、労働者の供給が非常に少なく、したがって高給で労働環境も良いです。
ただし、人の命を救う最前線に立つ勤務医と比べると健康診断のような補助的な業務に留まるため、やりがいは限定的になる傾向にあります。

半官半民パターン

私大職員や独立行政法人のような特殊な団体の職員が該当します。
なお、私立大学には多額の助成金が公布されているため、純粋な民間企業ではなく半官半民であると言えます。
公務員の安定性と民間優良企業の給料の良さを兼ね備えており、就活でも非常に人気なのですが、一方で募集も少ないですし欠員補充もあまりないので入社するのが極めて難しい傾向にあります。
また、安定性の裏返しとして既に組織が成熟していて業務内容が確立している場合が多く、個人の能力の発揮を通じたやりがいの獲得は限定的な傾向にあります。

独占企業パターン

独占企業でイメージされるのは化学系メーカーのような装置産業です。
巨大な装置という非常に高い参入障壁があるため、競争が激しくなく収益が安定しています。
また、資本集約型の産業であるため労働の重要性が高いというわけではなく、したがってやりがいは限定的ですが労働環境が悪化しにくい面があります。
ただし、特にホワイトカラーの本社部門はそもそも大量の労働者を必要としていないことから、募集が少なく入社するのが極めて難しい傾向にあります。
加えて、会社が儲かっているからと言ってそれを労働者に還元してくれるとは限らず、組合が弱い場合などは労働環境&給料型から労働環境型に転落する恐れもあります。

給料&やりがい型

代表例:高度専門職、勤務医

企業の研究開発職のような高度専門職は、できる人が少ないため給料が高く、働く人間の好奇心も満たしやすいためやりがいもありますが、高度専門職であるが故にインプットにもアウトプットにも非常に時間がかかる傾向にあり、ハードワークは不可避でしょう。

勤務医について、医師が高給なのは周知の事実であり、また、人の命を救う最前線に立っていることから尊敬される立場でありやりがいも大きいと思われます。
ただし、病棟がある病院に勤務する場合は当直があるなど、その過酷な労働実態はしばしばセンセーショナルに報道されます。

やりがい型と給料&やりがい型の明暗を分けるのは労働供給の少なさです。
医師には前述の通り医師免許という非常に高い参入障壁があり、高度専門職はその名の通り高度に専門性が高いため供給が非常に限られます。
やりたがる人は多いですが、できる人は非常に少ないため、給料が高く保たれています。

労働のトリレンマを打破するには

労働のトリレンマの打破は極めて難しいです。だからこそ、これをトリレンマと名付けました。
「最高の職場が存在するはずだ」と夢見てやりがい・給料・労働環境の全てを成立させようとして全部を失ってしまうより、自分の選好を明確にして一つは切り捨てる勇気を持った方が賢明だと言えます。
2つを同時に実現させただけでも御の字ですので、まずはそこを目指すのが現実的だと言えます。

労働のトリレンマが生まれる構造に着目すると、一筋の光が見えます。
労働のトリレンマの前提には労働市場の需給調整メカニズムがあります。
したがって、労働市場の需給調整メカニズムが働きにくい環境を選ぶか、もっとドラスティックにそもそも労働者を辞めたり労働者性の薄い働き方を選ぶことである程度克服することができると考えられます。

労働市場の需給調整メカニズムが働きにくい環境

参入障壁が非常に大きかったり、公務員としての性格が強かったりすると、労働市場があまり発達せずに需給調整メカニズムが働きにくくなる傾向にあります。
医師免許のように参入障壁が非常に大きい職業では、労働環境&給料型か給料&やりがい型にしやすく、2つは成立させることができます。
加えて、半官半民のような特殊な企業独占企業も2つは成立させやすいですが、これらの企業は非常に狭き門であり、狙って入るのは困難です。

また、労働市場の需給調整にはタイムラグがあります
企業が成長して黎明期から安定期に移行する中で、一時的にやりがい・給料・労働環境の全てが成立する場合があります。
ただし、企業が安定期に入るとコストカットが始まるため、給料か労働環境のどちらかは削られてしまいます。
やや曲芸じみていますが、金融商品の裁定取引のように、このような需給調整のタイムラグを狙って転職を繰り返せば理論上は労働のトリレンマを打破することができます。
ただし、転職を繰り返すのには年齢の壁があることに加え、そもそもこのようなスタンスで働くことにやりがいがあるのかと言われると疑問です。

そもそも労働者を辞める

経験を積んだクリエイターが雇用から業務委託契約に切り替えて個人事業主になるケースや、医師が開業して開業医になるケースが考えられます。
そもそも労働者ではなくなるので、やりがい・給料・労働環境の全てを実現させることができる可能性がありますが、契約が打ち切られるリスクや経営に失敗するリスクなど労働者にはあまりないタイプのリスクが発生します。

個人事業主に近い働き方をする

前述の通り、労働者を辞めて個人事業主になることには新たなリスクが付きまとうので簡単ではないです。
発想を変えて、給与&やりがい型のようなケースで労働者でありながら個人事業主に近い働き方をすることで、裁量を得て労働環境を改善してトリレンマを打破する戦略を考えます。

個人事業主に近い働き方の一つに、テレワークがあります。
出社しないことで会社の指揮命令下から物理的に離れることができ、拘束度合いが大幅に下がります。
労働時間の総量が変わらなかったとしても、個人事業主のように自由に働くことができるので大幅に労働環境が改善される可能性があります。

個人的には、コロナ禍によるテレワークの普及が「ニューノーマル」になってくれることを期待していたのですが、2023年の現在では出社回帰の動きが強まっているのが残念です。
ただし、労働者の確保が困難な業界二番手以下の企業では人材獲得の手段としてテレワークを継続している傾向にあります。
例えば、アメリカのGAFAでは軒並み出社に切り替える方針になっていますが、二番手以下のIT企業はその「おこぼれ」を狙ってテレワークを継続しており、日本でもその傾向が伺えます。
結局のところ、ここでも労働市場の需給調整メカニズムが働いており、労働者と会社のパワーバランスで労働環境が決まるということなのでしょう。

補論

医師は強い

勤務医にしろバイト医にしろ、3つのうち2つは成立させることができますし、会社員に比べたら開業のハードルが低いため独立して全てを狙いに行くことも可能です。
また、会社員にはない特色として生涯現役であることが可能であるなど、医師の強みは枚挙に暇がありません
このような職業は稀であり、大学受験における医学部人気の過熱にも頷けます。

日本の労働組合と価値観

ジェームズ・C. アベグレンは『日本の経営』の中で日本的経営の3つの特徴である

  • 終身雇用
  • 年功序列
  • 企業別組合

を、「三種の神器」と呼びました。(論者によっては、新卒一括採用と3つのうちいずれかを取り替えることもあります)
このうち企業別組合とは、欧米のように産業別に労働組合があるのではなく、企業別に労働組合があることを意味します。
企業別組合のメリットとして労使が協調しやすいというものがありますが、裏を返すと「第二人事部」や「御用組合」と揶揄されるように労働組合が実質的に会社の一部になってしまうデメリットにもなり得ます。
企業別組合は会社に対して労働環境の改善や賃上げを迫らず、どちらかというと終身雇用の維持を優先して会社の経営状況に配慮した交渉をする傾向にあります。
こうした傾向の根底には、労働のトリレンマの3つの要素よりも終身雇用という安定性を選好する日本の労働者の価値観があるのかもしれません。

人手不足なのになぜ給料が上がらないのか?

日本では昨今、人手不足が叫ばれています。
そして少子高齢化によりこの傾向はずっと続くと想定されます。
労働市場の需給調整メカニズムを考えれば、労働供給が減るので賃金が上がるというのが経済学のセオリーです。
しかし、日本では長らく賃金が停滞したままでした。
2023年の賃上げに至ってはインフレ率に負けているため実質賃金はむしろ低下しています。
この問題に関して、『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』という本が参考になります。
要因を一つに特定するのは極めて難しいですが、リーマンショックのトラウマから剰余を切り崩すことに経営が及び腰になっている可能性や、社会保険料の負担が上がっているため総人件費をこれ以上増やせない可能性が考えられます。

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