なぜブルシットワーカーは優しいのか
ブルシットジョブとは
私はある会社の管理部門でブルシットジョブをしています。
ブルシットジョブとは、デイビッド・グレーバーが提唱した概念ですが、ここでは「無味乾燥な書類仕事」と定義します。
具体的には、
- 内部監査に対処するために必死にチェックリストの穴埋めをする
- コンプライアンス対応ができていることを対外的にアピールするための証拠づくりをする
- 契約書や社内規程の文言に齟齬が無いか血眼になってチェックする
- 予め結論が決まっている会議のための資料作りに奔走する
などです。
総務・人事・法務・経理などの管理部門にいたことがある人なら、きっと身に覚えがあるかと思います。
また、最近ではコンプライアンスが厳しくなっていることもあり、生産や営業の現場でもこうしたブルシットジョブが増加してきております。
こうしたブルシットジョブは、誰もやりたがる人がいない一方で会社には必要とされているため、人手不足になっています。
そのため、いわゆる「やりがい搾取」の逆の状態になり、やりがいがない代わりに給料や労働環境は良くなります。
本記事では、ブルシットジョブの良さとして待遇の良さの他に、「優しい人が多い」という点を取り上げたいと思います。
ブルシットワーカーの優しさ
この時期になると、新卒で入社したときのことを思い出します。
研修が終わるといよいよ配属されるのですが、会社というのは軍隊であり、体育会系であり、徹底的にしごかれる恐ろしい場所なのだと思っておりました。
しかし、実際に配属されると、確かに挨拶など最低限のルールはあるのですが、現場の人は誰もが優しくて驚いた記憶があります。
ただし、それは管理部門だけのようで、営業部門に配属された同期はしごかれていて大変そうに見えました。
そして、この傾向はどうやら他社でも同じようで、それはいったいどうしてなのか整理してみたいと思います。
優しさの理由
仕事に興味がない
最大の理由であり、正直これでこの記事は終わりにしてしまっていいぐらいかもしれません。
まず、逆に仕事に興味がある状態というのを考えると、例えば「どうしてもこのプロジェクトを実現させたい」とか「この製品に愛着がある」といった状態が考えられます。
そういった場合、同僚や部下に対する感情面のケアは二の次になり、興味の追及が最優先になります。
目的の遂行のためには人に強く当たっても良いと思っているか、そもそも「傍若無人」という言葉のとおり人を人と思わなくなっているのかもしれません。
また、いわゆる「愛の鞭」のように、同僚や部下に対する感情面のケアの意識があってもそれが的外れな方向に暴走してしまうこともあります。
一方で、仕事に興味がない状態では、とにかく面倒ごとを起こさずに、自分や家族の生活のために日銭を稼ぐことが最優先事項となります。
その場合は、仕事の押し付け合いという意味でのトラブルは起きえますが、こだわりの強さゆえに人に強く当たってしまうことはまず無いでしょう。
また、仕事に関する指導も無味乾燥なマニュアルの伝達に留まり、教える側も教えられる側も興味がないので「愛の鞭」で厳しく指導することも起きえません。
仕事に興味もやりがいも無い場合、純粋に待遇面のみに魅力を感じており、そういった場合は興味関心がプライベートや家庭に向いていて、職場の人間に対する興味が希薄なことも多いです。
そのような人たちは同僚や部下に対しては「まあ生活のためにボチボチやりましょうや」というスタンスで接することが多く、優しさというよりは無関心といった方が実態に近いという面もあります。
利益に直結しない
注意が必要なのが、本社管理部門であっても「先生方」は厳しいこともあるということです。
例えば、経理の「先生」は仕事に対する興味もこだわりも強く、「ある支払をどの勘定科目に振り分けるか」など利益に関係のない高尚な論点で盛り上がることがあり、同僚や部下や他部署の人に対してキツくあたることがあります。
ただ、こういった小競り合いは会社の利益に直結しないので、会社の上層部はハラスメントの通報があれば「先生方」を容赦なく切り捨てることもできます。
そうした結果、職人気質で少し気難しい人はいたとしても、自浄作業が働いているので人に危害を加える有害なタイプは限定的になります。
一方で、これが営業部門や生産部門であれば、こだわりの強い人の興味が会社の利益に直結してしまうので、会社の自浄作用に期待することは難しくなります。
例えば、売上一位の営業マンが出世して管理職になり部下にハラスメントをして通報があったとしても、会社がその人を切り捨てることは非常に難しく、担当役員がこれに介入して左遷どころか栄転させてしまうこともあるでしょう。
この場合、確かに異動により人間関係のトラブルは解消されたかもしれませんが、結局その人は新天地でもハラスメントを繰り返すことは想像に難くないでしょう。
利益のために問題の解決を先送りにしており、ハラスメントは残ってしまうのです。
評価に差が付かない
ブルシットジョブは利益に直結しない仕事であり、会社としてもブルシットワーカーを評価する動機がありません。
会社の本社機能がストップしない程度に働いてくれればよく、どんなに働いても評価は中の上ぐらいで頭打ちになります。
また、仕事の成果を個々人に帰属させることが難しい場合も多いです。
その場合、高い評価を得るために同僚や部下の成果を横取りするだとか、あえて協力しないことで自分の順位を相対的に上げようだとかいったことは起きにくくなります。
挫折した経験がある
子どもの夢に「大企業の本社管理部門で書類仕事をしたい!」などというものは無いでしょう。あったとしたら、世も末だなと思います。
管理部門はそもそも出世コースではないですので、営業部門や生産部門で挫折した人が左遷されてくることもあります。
また、私のように新卒就活の段階で管理部門を狙っていた人間は自分が研究職に向かないことに気づいたなど後ろ向きな理由が多く、もちろんそれが夢だということはありません。
管理部門の人間は若手であってもどこか達観していてまるで余生かのように過ごしていることが多く、穏やかな老人のような優しさがあります。
挫折を経験した人は人の心の痛みが分かることが多く、仮に同僚や部下の仕事ぶりが悪かったとしても、同情してくれるのではないでしょうか。
かくいう私も、同僚や部下に対しては同胞意識を持っています。
離職率が低い
離職率が低いことは、ブルシットワーカーに優しい人が多いことの原因でもあり、結果でもあります。
営業部門は仕事が過酷であることが多く、働く人もリスク愛好的でありより高い報酬を求める傾向にあるので、プラスの動機でもマイナスの動機でも離職率が高いです。
そのため、同僚や部下は異動なり退職なりでどうせすぐ居なくなるので、優しく接する動機がありません。
一方で、管理部門は離職率が低く、異動があったとしても管理部門の中をぐるぐると回るだけのことも多いため、人間関係は必然的に長期的なものになります。
そのため、「情けは人の為ならず」の精神で同僚や部下に優しく接する動機が生まれます。
また、他部署と利害が対立しても、自分が将来相手方の部署に異動する可能性が頭に浮かぶと態度が軟化することがあり、これは特に日本企業に顕著です。
優しい人が多いと快適に働けるようになり、もっと離職率が低くなるという好循環が生まれます。
まとめ
何かと忌避されがちなブルシットジョブですが、待遇がよいだけではなく優しい人が多くて快適に働けるというメリットがあります。
上記の内容は現場にいる人にとっては特段目新しくないかもしれませんが、ネットや本などで言及されることは少なく、言語化して整理することには一定程度の意義があると感じております。
ブルシットジョブは確かに無味乾燥で嫌な仕事かもしれませんが、私はブルシットジョブのおかげで生活ができているのもまた事実です。
職場の人たちに対する同胞意識を持って、せめて楽しく仲良く余生を過ごしていきたいです。
仕事に対する誇りはありませんが、同胞意識に対する誇りは持ち続けたいのです。