女性活躍推進によりホワイト化する日本企業

女性活躍推進によりホワイト化する日本企業

女性活躍推進

昨今の日本社会では女性活躍推進が急速に進んでいます。
2016年には女性活躍推進法が施行され、女性従業員の登用計画の作成が国・地方公共団体・300人超の企業に義務付けられました。
また、大企業の女性役員比率を2030年までに30%にするよう政府が目標を設定しており、目標やルール作りがかなり具体的なことから政府の本気が伝わってきます。
さらに、教育の現場でも、京都大学などが一部の学部に女子枠を新設したことが話題となっております。
本記事では、そういった女性活躍推進の是非を論じるのではなく、それがもたらしうる日本企業のホワイト化という帰結について考察します。

伝統的日本企業

女性活躍が推進される前の日本企業はどうだったかを振り返ります。
日本企業は、

  • 新卒一括採用
  • 終身雇用
  • 企業別労働組合

を三本の矢として戦後に飛躍的な発展を遂げましたが、そこでの働き方は「男性が会社に滅私奉公し、女性は家庭を守る」という性役割分業に基づいたものでした。
高度経済成長期が終わり、さらにバブル崩壊を経て「失われた30年」の時代に突入すると、男性が全国転勤や長時間労働で滅私奉公する従来のスタイルは少しずつ緩和されてきたものの、それでもまだ日本企業の働き方はブラックなものでした。

ホワイト化の要因

それからさらに時代が進み、女性活躍が推進されたことで、日本企業は少しずつホワイト化してきています。
以下ではその要因について考察していきたいと思います。

女性管理職候補の採用難

女性管理職の比率の開示が義務付けられ、明確な数値目標が課された今、一定以上の規模の会社であればどこも女性管理職候補の確保に躍起になっています。
特に40代・50代の女性は会社に非常に少なく、総合職だけでは足りないので一般職も転換させて管理職や役員にしている事例も多々見受けられます。
また、難関大学の男女比もまだ男性に偏っていますし、女性管理職候補の採用は非常に難しくなっています。
そういった中で、出産や育児というライフイベントに対して前向きになれないようなブラックな会社は求職者から見向きもされない上に入ったとしてもすぐに辞められてしまうので、企業側としてはホワイト化させないと女性管理職候補の確保すらままならないというシビアな状況になっています。

転勤忌避

女性が働くことが当たり前になり共働きが一般化したことで、転勤が男性からも女性からも従来以上に忌避されるようになりました。
転勤があるというだけで採用難に陥ってしまうため、最近では転勤範囲が限定されたエリア総合職の範囲が男性にも拡大されたり、同意の無い転勤を原則廃止にする企業も増えています。

そもそも転勤というのは会社による従業員の強制移住であり、従業員に多大な負担を強いるもので、これが認められるのは終身雇用があってこそです。
ただ、最近の流れは採用難という事情で企業側が自発的に転勤を削減しているので、「終身雇用が無くなった対価として転勤が無くなった」という等価交換が起きたわけではなく、これは待遇の改善、つまりホワイト化としてカウントしてよいと思います。

出世競争の短期決戦化

上記の二点はよく言われることであり、敢えて記事にするまでもないかもしれません。
しかし、「女性活躍推進により出世競争が短期決戦化し、結果としてホワイト化する」という論点はほぼ語られることがなく、そして直感に反するかもしれないので詳細に述べたいと思います。

まず、日本企業の昇進はトーナメント式です。
新卒で入社した同期の間で競争が一斉にスタートし、主任→課長→次長→部長→役員などと勝ち上がっていく形式で、そこには敗者復活戦がありません。

次に、それぞれのポストの数は決まっています。
会社内部の序列はピラミッド型をしており、一部の役職だけポストの数を変えようとするとピラミッドの形が崩れるのでそう簡単に変えることはできません。

ここに女性活躍推進が加わると、どうなるかを考えてみます。
まず、「女性役員比率30%」という数値目標があるとして、そこから各職階の男女別の定数が割り振られます。
次に、先ほど言及したとおりまだまだ女性管理職候補の数は少ないので、女性側のポストの倍率は低くなります。
特に今の40代以上の女性はあまりにも数が少ないのでそもそも出世競争が無く、逆に無理矢理昇進させられるという問題が生じているくらいです。

一方で、男性側はポストが相対的に減少するので出世競争はむしろ激しくなると思われるのですが、ここで重要なのは「敗者復活戦がない」という点です。
例えば、従来であれば「男性総合職の大半は課長になれた」ところ、女性活躍推進により「男性総合職のうち課長になれない人の方が多い」となった場合、課長になるための競争は確かに激化しますが、課長になれないことが分かると出世競争はそこで終わります。
要するに、出世競争が短期決戦化するのです。
そして、敗者復活戦が無いので完全に先が見えてしまい、課長になれないことが分かった男性総合職は割に合わない滅私奉公などは止めて「働かないおじさん」として余生を送ることになります。
もっとも、出世競争が短期化したことで、30代や20代後半などでも先が見えてしまうことが増えてきていて、その場合は「働かないおじさん」どころか「働かないおにいさん」として余生を送る事例も多々見受けられます。

残業時間の削減や有給休暇取得の義務化は会社による「働かせ方改革」なのですが、「働かないおじさん」や「働かないおにいさん」として余生を送ると決めて最低限の仕事しかしなくなるのはある意味では本当の「働き方改革」なのかもしれません。

今後の日本企業の展望

伝統的日本企業は、ネット上でしばしばJTC(Japanese Traditional Company)と呼ばれ揶揄されておりますが、その展望はそこまで暗くはないと思います。
まず、ホワイト化する前の日本企業では滅私奉公が当たり前でしたが、出世競争のためという意味合いも強く、いわば「利益に関係のない内申点稼ぎ」のような無駄な業務も多かったと想定されます。
日本企業がホワイト化することでそういった無駄な業務が無くなれば、労働時間が減少しても直接的には業績は落ちないと考えられます。

ただ、企業側には今後の人事管理運営をどうすべきかという難題が突き付けられています。
従来ではポスト獲得こそがやりがいとされていて、出世競争は「利益に関係のない内申点稼ぎ」を産み出した負の側面があるものの、男性社員のモチベーションの源になっていたことも事実です。
それが今後は出世をエサに従業員を働かせることが難しくなると、どう従業員のモチベーションを向上させるのかを真剣に考えなければなりません。
安易に成果主義に飛びつくと失敗することは失われた30年の歴史が証明していますし、人事制度の変更時には既得権者への配慮が必要になるので、本当の意味で改革を実施することは極めて難しいです。
そして、「働かないおじさん」が低年齢化して「働かないおにいさん」になっている場合は事態はより深刻です。新聞社のように会社が不動産収入など労働力に依存しないストック型の収益に立脚している場合は問題ないのですが、そうでないと企業体力が低下しかねません。

女性活躍の推進により日本社会は少しずつ変わってきています。
社会の変化を鋭敏に察知し、そしてどう振舞うべきかを真剣に考えることが我々労働者の側にも求められているのだと思います。

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