過ぎにし春、これから
過ぎにし春
4月、春です。
気づけば桜は散っており、青々とした葉は初夏の訪れを感じさせます。
4月は出会いの季節で、学生であれば桜並木の下で入学式を迎えることでしょうが、会社員の場合はお偉方のスピーチが少しあるぐらいで、季節を感じることもなくせかせかと時が過ぎ去ってゆきます。
ところで、ジャネーの法則をご存知でしょうか?
「時間の心理的長さは年齢に反比例する」というもので、例えば3歳児にとっての1年は人生の3分の1ですが、30歳の大人にとっての1年は人生の30分の1に過ぎないので、年を重ねるごとにどんどん時間の流れが早く感じるという法則(というより経験則?)です。
この法則が正しいとすると、これからただでさえ時間が早く感じられるというのに、会社員を続けていたら季節なんて感じられないのであっという間に人生が終わってしまうでしょう。
残りの人生をもっと味わいたいので、これは少し困ります。
感性の喪失
経済戦争に打ち勝つために会社の業務は徹底的に効率化されていて、その一環として個々の業務は無味乾燥なマニュアルに落とし込まれ標準化されていきます。
そして、ライン工がベルトコンベアに合わせて働くことを要求されるように、会社員も業務フローに合わせて働くことを要求され、自分のペースで働いたり時には立ち止まって何かを考えたりすることはほとんど許されません。
そんな環境では、何かを美しいと思ったり、神秘的な体験をしたりすることはまずできないでしょう。
こうして感性は失われていき、限られた刺激に対して同じ反応を繰り返すだけの虫のような生き物になってしまいます。
自然に学ぶ
自然に学ぶことは本当に多いです。
私が作っていた流体シミュレーションゲームも自然から着想を得ておりますし、今でも自然に触れてアイデアが降ってくるのを雨乞いのように待っております。
自然の驚異や美しさの例を挙げればきりがないのですが、今回は鳥の話をさせてください。
例えば、フクロウは特有の風切羽のおかげで獲物にバレないように静かに飛ぶことができるのですが、それが航空機の翼に応用されることが期待されているようです。
このことに気づいた人は、自然を本当によく観察していたのだなと思います。そして、このようなことに気づくということは神秘的な体験なのだと思います。
上記は学術的な面の話ですが、他にも人々は白鳥を「冬の使者」と呼んでいたり、ツバメが帰ってきて春を感じたり、鳥たちの姿を見ることで移ろう季節を感じてきたのだということが分かります。
道草を食う
立ち止まって考えることが許されない、せかせかとした会社員の身だからこそ、より自然に対して目を向ける必要がある――私はそう考えております。
通勤途中にある道草も、目を向けて見れば面白いかもしれませんし、ノビルやヨモギなんかは食べてみたらすごくおいしいらしいです。
失った感性を取り戻すために、文字通り「道草を食う」ということをしてみたいのです。