貴族なき世で貴族を目指す

貴族なき世で貴族を目指す

貴族なき世

日本では戦後まもなく華族その他の貴族の制度が認められなくなり、貴族制度が廃止されました。つまり、貴族なき世が到来したのです。
その後の日本社会は「一億総中流」と呼ばれるような平等な社会となり、そして現在に至ります。

異常な競争社会

「貴族なき世とは、努力すれば幸せになれる世だ。」

純朴だった私はそのように思っておりました。
しかし、年を重ねるごとに、異常な競争社会には無視できないほど大きな弊害があることに気づきます。

東大は何も約束しない

イブリース氏の上記の記事は異常な競争社会の弊害を的確に指摘しています。
理論的な面はイブリース氏に譲るとして、私は自分の実体験を綴りたいと思います。

私は東京大学に入学したのですが、研究者という東大ならではの進路には行けず、結局のところ会社員になってしまいました。
異常な難易度の競争を勝ち抜いたのにも関わらず、就活では「早慶以上」という括りに纏められるので大して有利にならず、いったん会社に入ると完全に同じスタートラインで仕切り直しとなりました。
要するに、会社員になるのなら東大でも早慶でもほぼ同じであり、異常な難易度の競争の見返りはない、ということです。

そして、会社に入った後も終わりなき競争が続きます。
仕事の内容が楽しければ競争にも耐えられるのでしょうが、私の場合はとにかく仕事が空虚でした。
社内での出世や同期間の背比べに対して全く興味が持てず、しかも仕事の内容もブルシットジョブ(クソどうでもいい仕事)としか言いようのないものでした。
そんな私に救いがあるとすれば、それは定年でしょう。
定年退職という名の生前葬で現世に別れを告げるのです。

一方で、地元の国立大医学部に行った知人を見ると、医師免許という参入障壁があるので大学受験が最後の競争になっているようでした。
もちろん、大学病院で権力闘争を繰り広げる場合は終わりなき競争が続きますが、医師の場合は非常勤や単発のバイトなど働き方を柔軟に選べるので、競争を辞めようと思えば辞めることができます。
新卒で入った会社を辞めてしまうと待遇が大幅に下がる会社員とはこの点が大きく異なります。

異常な競争を続ける東大卒会社員と、競争から解放され医療行為に専念する医師。後者の方が経済的利益が大きいのみならず、社会的な意義も大きいです。
イブリース氏が指摘するように、過剰競争から離脱した人間はむしろ尊敬される立場にあるという逆説的な構造になっています。

東大に入ったことで、医師免許を捨ててまで東大に来た天才たちと出会うことができ、そのうち何人かとは有り難いことに今でも深く交流を続けています。
ですので、東大に入ったことに全く後悔はありません。
ただし、医学部に比べると「東大は何も約束しない」ということは確かなのです。

レッドオーシャンに沈む

会社員を極めることに何の意義も感じられなかった私は早めに見切りをつけ、余暇に充実を求めました。
プログラミングが好きだった私は、ゲーム製作の世界の門戸を叩きました。
しかし、そこにも異常な競争社会が広がっていました

ゲーム業界には資格や規制が無く、しかもPCが一台あれば誰でも自由に参入することができます。
そのため、ここもまた異常な競争社会になっているのです。

もちろん、あくまでも趣味なので自分のやりたいことが最優先です。
競争などそっちのけでゲームを作るという体験自体が非常に楽しくて、それは何物にも代えがたい素晴らしいものでした。
ただ、広告宣伝をかなり頑張らないと全くプレイされず、そもそも低評価すらつかないというあまりに過酷な状況が待っていました。
異常な競争社会で抜きんでるために、広告宣伝というゲーム製作以外の部分に莫大なリソースを費やさねばならず、この点も異常な競争社会の弊害なのだと思います。

インディーゲームの世界の他に自由でクリエイティブな世界と言えば、学問の世界があります。
研究者の競争は過酷そのものですが、一度テニュア(終身在職権)を得ることができれば競争から開放されます。
テニュアにより身分が保証されることで、研究教育活動に専念することができるのです。
学位やテニュアといった仕組みのおかげで、クリエイティブでありながら競争から解放されることができているのです。

一方で、インディーゲームの世界にはこうした仕組みが備わっていません。
そのため、成功したインディーゲーム開発者を見ていても、一度成功したぐらいでは安心していられないようです。
彼らは怒涛の勢いで門戸を叩いてくる才能ある新参者との終わりなき競争に明け暮れているようで、大変つらい状況にあるように見受けられました。

ある貴族との出会い

公私ともに終わりなき競争に明け暮れる中、本当に偶然なことに、ある貴族の方に出会う機会に恵まれました。
その方は一度も就労経験がない一方で、地価が高い地区に何件もの不動産を所有する富裕層の方でした。
つまり、一度も競争などしたことがない方だったのです。
このような方とお会いするのは初めてであり、そして衝撃的な経験でした。

まず、とにかく虚飾が無いのです。
ブランド物の衣服で身を固めて見栄を張る成金と違い、極めて質素な服装をしておられました。
そして、分からないことがあったときは「ここは分からないです」と言う素直さがありました。
見栄を張ったり知ったかぶったりするような虚飾など全くなく、そしてひねくれていない純真なお方だったのです。

次に、その方の家にお邪魔する幸運に恵まれたのですが、そこでも衝撃を受けました。
建物や内装は驚くほど質素である一方で、庭の手入れが行き届いておりさながら庭園のような空間になっていました。
ここにも虚飾などというものは存在せず、あるのは自然を愛する心のみだったのです。

私の知る限り、異常な競争社会を勝ち抜くエリートたちの中には、このようなお方は存在しませんでした。
その洗練された立ち振る舞いや思想に感服し、このお方こそまさに貴族なき世の貴族なのだと感じました。

東ローマ帝国の貴族

私は大企業の管理部門でブルシットジョブをしております。
解雇規制と業界規制という二重の城壁に守られている代わりに、「クソどうでもいい仕事」に心身を拘束されるという宿命を負っています。

そんな中で、自由な創作の世界であるインディーゲームの世界という「壁の外の世界」に飛び出しましたが、そこは桃源郷ではなく血で血を洗うレッドオーシャンでした。
私を守る二重の城壁のありがたさに気づいたのはそのときでした。

解雇規制と業界規制という二重の城壁は、さながら東ローマ帝国の帝都コンスタンティノープルの二重城壁が如く堅牢であり、この城壁のおかげで実は私は十分に恵まれた生活ができていたのです。
そして、私にも先ほどの貴族の方のように、自然を愛する心があります。
物理シミュレーションに熱中し、自然の神秘を体感した私は、確かに自然を愛しているという自負があります。

ゲームという表現手段にこだわる必要など全くないのです。
自然を愛する心を持っていれば、それを伝える手段は他にもあるはずです。

壁の内側、帝都の花園にチューリップを咲かせましょう。
そこに蝶がやってきてくれれば最高です。
愛すべき小さな友人と共に、美しい花を愛でましょう。
そして、この素晴らしい世界に生まれた喜びをかみしめるのです。

貴族なき世で、そんな東ローマ帝国の貴族を目指します

目次

Feedback

あなたの一言が大きなはげみとなります!

有効な値を入力してください。
有効な値を入力してください。
有効な値を入力してください。